目次
時代の呼称
上代:奈良時代の終わりまで(-794)
中古:平安時代 (-1185) 鎌倉時代も含まれる
中世:鎌倉、室町(江戸以前) (-1603)
近世:江戸時代 (-1867)
近代:明治ー昭和20年まで (1868-1945)
現代:昭和20年以降 (1945 – )
音韻と文字史
上代:万葉仮名(漢字の音を利用して日本語を表記)
漢字の意味を捨てて、音だけを利用して和語を書き表したもの=万葉仮名(平仮名はない)
万葉集とそのほか
上代特殊仮名遣い = キケコソトノヒヘメミヨロ 漢字が2種類づつあってかき分けられている
助詞にあたる部分を小書きにするような宣命書と呼ばれる書き方があった
当時母音が多かった可能性がある。(8母音説)橋本進吉
上代(奈良時代)にはハ行子音はXXと言う音だった。
ア段、ウ段音には上代特殊仮名遣いでは書き分けがない。
上代にはヤ行のエ段音が存在した。
上代には下一段活用の動詞はなかった。
上代にはク語法として、未然形にくをつけて、-のことの意を表した。
上代では丁寧語は未発達
和語の場合、もともとヲ行音ではじめる語はなかった
オ列甲音とオ列乙音が共存することはないという音節結合の法則があった。
上田万年 P音考 ハ行 P-->H
中古:平仮名(万葉仮名をくずしてできた)片仮名(万葉仮名の一部を取ってできた)
統一ルールができたのは明治33年(1900年)
平仮名:万葉仮名をくずしてできた
漢字訓読体(和文体)平家物語など
中古初期にはヤ行のエがあった。
50音図は音韻表、文字の学習は手習い歌
片仮名:速記記号 漢字の一部を取るような形
中古では、書きて―→書いてのような変化が起きるようになった(イ音便)
50音図:平安後期
動詞は9種類
形容動詞のタリ活用
「お」と「を」の統合は11世紀、「え」と「へ」の統合は10世紀
音便発生:中古(平安)
髪=加美、加見 神=加未、加味
語頭以外のハ行子音をワ行で:ハ行転呼 [w]
語頭のハは転呼しない。
日本書紀:歴史書(漢字)、古事記:歴史物語、万葉集:万葉かな
年代推定の背景:10世紀
あめつちの歌(48音)–>たゐにの歌(47音)–> 11世紀 いろは歌(47音)….てならい歌
中世:定家仮名遣い 藤原定家(最初に仮名遣いの指針を示した)、下管集
文法史として変動期
行かう、行こう
和漢混淆体(平家物語)
あ行の「え」とワ行の「ゑ」の統合の結果[je]となった。
あ行の「い」とワ行の「ゐ」の統合
因縁(いんえん、いんねん)、三位、観音:連声
2段活用の1段化:「起きず」、「起きたり」、「起く」、「起くる」「起くるとき」、「起くれども」、「起きよ」が、「起きる」の「き」で統一された
キリシタン資料:音韻研究資料(ローマ字で日本語を表記したもの)
平家(FEIKE)
オ段長音2種類:開音、合音
おなか、おひやしなどの女房詞が生まれた
ポルトガル語(こんぺいとう、たばこなど)
近世:契沖仮名遣い (江戸時代に仮名遣いの誤りを正し、新しい指針を示した)
ジヂズヅをまとめて四つ仮名と言い、近世(江戸時代)にはズヅが同じように発音されるようになった。
近世にはハの子音はhの音となった。
「死ぬ」などのナ行変格活用が4段化した
仮定、「行かば」が「行けば」となる
「白いです」というような言い方は20世紀後半に確立
和字正濫しょう
「え」が、[Je]から[e]に変わった
語頭のハが[h]に変わった。
1900年にはhaはハだけとなる。
近代以降:外来語の影響
オランダ語(ガラス、レンズ、ビールなど)
文法史、語彙史、文体史
文法の活用体系に大変化が起きたのは中世:連体形が使われるようになる。2段活用の1段活用動詞化、ナ行、ラ行動詞活用変革
否定の「ず」に続くときの形は未然形という
古典文法では書くは4段活用
受けるは古典文法では受くの形で下2段活用
現代語でも古典語でも見るは上一段活用
古典文法とは中古のこと。
2段活用の1段化は中世、完成は近世
終止形と連体形の合一の変化は中世に起きた。
蹴るは古典文法は下一段活用、のちに4段化した
形容動詞のなり活用は上代から、タリ活用は中古から。
こそが使われた文の結びは巳然形で終わる
「ぞ」が使われた文の結びは連体形で終わる
住めば都は確定条件(いったんそこに住んでみると、そこが自分の都である)仮定条件ではない。
古い時代に中国からはいってきた語は漢語
大根=おほねを漢字表記して音読みをしたので日本で生じたと言ってよい(和製漢語)
西洋文献の翻訳を漢語で訳したので明治時代に漢語が増えた
漢文体、変体漢文(日本風の要素)
近代の普通文は一種の文語体
二葉亭四迷は「だ」体で呼ばれる文体を広めた
口語体の文章が世に広まった一因として、国定教科書がある。
形容詞:く、しく活用 形容動詞:なり、たり活用
形容詞+「です」は戦後定着
漢文の中で、日本語の語順で書かれているもの:変体漢文体
続日本紀:宣命体で書かれている(8世紀)
源氏物語:和文体で書かれている
平家物語、今昔物語集:和漢混こう文
漢文を日本語として読み下ろしたときに生まれた翻訳文体は漢文訓読体
明治になり現文一致が唱えられ、その結果、言文一致体が生まれた。
日本語学史
(近世)江戸時代
江戸時代に日本語研究を飛躍的に発展させたのは国学
奈良、平安時代が理想と説く
本居宣長:係り結び研究(江戸時代) てにおは紐鏡
藤谷成章:品詞分類、構文論 あゆひ抄は助詞、助動詞研究の本
鈴木あきら:言語4種論で品詞分類をおこなった
本居春庭: 活用研究を完成 詞八衡を著
(近代)明治以降
大槻文彦:言海という辞書完成させた。和洋折衷的な辞書を書いた。江戸時代からの日本語研究+西洋からの新しい言語研究
松本亀次郎:清国留学生に対する日本語教育後、北京の京師法学堂で日本語教育をおこなう
嘉納治五郎:柔道家、教育者、明治時代、中国清国留学生を政府関係者から預かり日本語教育をおこなう。弘文学院
時枝もとき:文法論 言語過程説という言語理論 国語学言論 入子型構造という用語を使う。 朝鮮半島にあった京城帝国大学に勤めていた。詞とは概念過程がある語のこと
山田よしお:現代の副詞の分類を提唱(情態、程度、陳述副詞)統覚、陳述の概念をその理論の中心に置いた人 日本文法学概論
松下大三郎:意味重視。普遍的文法の研究と構築 原辞、詞、断句などの用語を使った文法体系、弘文学院で日本語教育もおこなう。改選標準日本文法
松宮弥平:前橋でアメリカ人宣教師に対して日本語教育をおこなう
長沼直兄はアメリカ大使館で日本語を教えた。戦後は日本語東京学校などを率いた。
橋本進吉:文節の概念を確立、外形、形式重視の文法論 現在の学校文法のもと 国語法要説
佐久間かなえ:アクセント研究、指示詞の研究
三上章:像は鼻が長いという文法書作者、主語廃止論
柴谷まさよし:主語設定論、尊敬語化現考
宣教師ロドリゲスは日本文典を書く。マカオに追放後ももう一冊日本語の文法書を書く。
キリシタンが作った辞書、日葡辞書(日本語の単語をポルトガル語で解説)
日本語教育史
(戦前、戦中)
日本語教育振興会:占領地に送る日本語教育要員の選考と養成をおこなう組織
国際学友会:中国以外のアジアからの留学生を支援(戦前に作られた)
(占領地および戦後)
伊沢修二:台湾で活躍、日本語教育機関と教師養成機関を整えようとした
山口喜一郎:グアン式教授法を応用した直接法
1919年の3.1独立運動、国語普及運動、国語全解運動:韓国
1931年、満鉄道路爆破事件=柳条湖事件
1937年、日中戦争のきっかけ=盧溝橋事件
大出正とし:満州において間接法のひとつとして速成式教授法とおこなう
武装独立運動家たちと日本軍が協力してイギリス人を撃退した国=ビルマ
1983年:留学生10万受け入れ計画(中曽根内閣)
1988年:上海事件(悪質な日本語学校の乱立)
1989年:日本語教育振興協会が審査することになる
1993年:外国人研修制度技能実習(中小企業への外国からの研修生の受け入れ)
文字、漢字、ローマ字
漢字:表意文字
平仮名、片仮名:表音文字 仮名は音節単位
漢字の先祖は甲骨文字
4級 約100字、3級 約300字、2級 約1000字、1級 約2000字
ローマ字:表音文字、音素単位
100年に後漢で作られた字典「説文解字」漢字の分類=六書
漢字台湾:繁体字(戦前、戦中日本でも繁体字)その後、日本は新字体
漢字中国:簡体字
漢字韓国:繁体字
1900年(明治33年)にはヘボン式や日本式が存在していた。
1937年(昭和12年):訓令式のローマ字のつづり方制定
1946年:当用漢字表 (1850字種)、現代かなづかい(内閣告示)
棒引き仮名遣いが行われたのは明治30年代の一時期のみ
1954年:内閣告示のローマ字のつづり方(訓令式をベース)
外来語の表記は内閣訓示に至らず。
1973年:送り仮名の付け方(内閣告示)
承る、恐ろしい、恐れる、聞こえる、憩い、問い、当たり、幸せ
1981年:常用漢字表(1945字種)漢字使用の目安 祝詞(付表にある読み方)
1986年:現代仮名遣い(内閣告示)
1900年ごろ:国語調査委員会発足(上田万年)
1934年:国語審議会発足
1991年:外来語の表記(内閣告示)
21世紀:国語審議会が文化審議会国語分科会となる
こぢんまり 本則
さかずき、ぬかずく、おとずれる 本則
扇(おうぎ)、十(とお)、放る(ほうる)、憤る(いきどおる)
オ列の仮名+「お」 (歴史的仮名遣いでは、オ列のかな+「ほ」もしくは「を」と書いていた
衣裳の裳が漢字表に入らなかったので装で代用
2010年:改良常用漢字表(191字種追加、2136種となる)
曖昧、躁鬱が加わる。鷹はNG 私はわたしの読みとして追加
公用文:次のとおり、行ってください できる
漢字分類
象形:ものの形をうつしたもの
指示:状況や概念を点や線で表したもの
会意:意味を持つ要素を組み合わせてつくったもの
形声:意味を持つ要素と音をあらわす要素を組み合わせたもの
役は音読み
夕は訓読み
縁組:音+訓
絵本:音+音
危険を冒す(異字同訓の漢字用法)
国字:働、躾、辻
前島密:漢字御廃止之議
訓令式:1937年、表記の不統一を外国から指摘され、日本政府が作成
ヘボン式:和英語林集成 ja(じゃ)shi, chi, tsu
ぢはそれぞれ、zi, ji, di
しちじは訓令式と日本式のつづりがいっしょ
日本式:1885年に50音図に基づいて作成 du(ず)kwa, gwa(合拗音のつづり)
拗音のつづり:日本式や訓令式ではYが入る
1954年のローマ字のつづり方:第1表は訓令式、第2表ははヘボン、日本式を採用
ローマ字で分かち書きをする場合と仮名で分かち書きをする場合とで書き方が違ってくるのは助詞の扱い
現代仮名遣い、送り仮名、外来語
1986年の現代仮名遣いの原則と特例(例:わたしわでなく、わたしは)
付記:ねえさん、とけい(NGとけえ)
通るはとほると呼んだのは歴史的かなづかい
ちぢむ、つづく=同音の連呼
はなぢ、こづつみ=二語の連合
1973年:送り仮名のつけかた(本則、例外、許容)
暮らす、暮れる:漢字の読みの部分統一
転成名詞:動き(動きます)
息吹は送り仮名をつけない。(漢字表付表に記載)
1954年の外来語の表記については、内閣告示に至らず。
1991年の外来語の表記第一表は、一般的に用いる仮名(デュ)、第2表は原音つづりに近く書きあわらす仮名(ヴァ、フュ、ク)
語形のゆれ:グローブ、グラブ、
慣用主義:フィルム(原音主義)、フイルム
歴史
(台湾)
ゴンザは薩摩出身でロシアに漂流し、日本語の情報提供者となった。
台湾は日清戦争の結果、清から日本へ割譲された
伊沢修二は1895年に台湾で日本語教育を開始した
芝山巌事件当時すでに伊沢は一時帰国していた。
1898年の台湾公学校令で公学校が建てられた。(台湾の公学校は義務教育ではなかった)
山口喜一郎はグアン式教授法を参考に日本語の直接法を開始し、台湾総督府も受け入れ公学校ではこのやりかたをおこなうことになった。(1943年以降)
台湾では、1930年代後半には皇民化教育が行われ、国語常用家庭制度ができた。1940年までに日本語理解者率を50%にする目標をたてその方策として教育機関を作ることにした。台湾には日本語の氏名に改名するという制度があった。
(朝鮮)
1891年に官立日語学堂ができ岡倉由三郎が招かれた。
日清戦争後の下関条約で清が朝鮮を独立国であると認めるという条文が入った。
1890年代後半には私立の日本語学校がいくつかできた。
日本は日露戦争の結果ロシアの影響力を朝鮮半島からなくし、1905年には大韓帝国を保護国とした。
1906年には、日本語は外国語教科、1910年の併合以降は日本語は国語という扱い。
保護国期は対訳法、その後直接法で日本語を教える。
朝鮮半島での日本語学校は義務教育ではない。
1919年に朝鮮3.1運動がおこり、日本語教育も軟化した。
1930年代の後半から皇民化教育が強まった。
1938年以降、朝鮮語は随意科目となり、1940年代に入ってから科目が消えた。
1942年に国語普及運動、1944年に徴兵制実施に伴う国語全解運動がおこなわれた。
(満州)
日露戦争の結果、日本はロシアから遼東半島の権利(租借権)を得て、関東州と名付けた。
1931年の両条湖事件をきっかけに1932年には満州国が建国された。
満州では、大出正篤が速成式教授法で日本語を教えた
(南洋諸島)
南洋諸島での日本語教育のきっかけは、第一次世界大戦でドイツ軍と戦ったことにある。
日本はタイとは戦っていない。
日本軍の占領の後、フィリピンとシンガポール、インドネシアで日本語教育が行われた。
フランス領インドシナと日本は戦っていない。
日本軍とビルマ独立派連合がイギリスを追い払ったのち、ビルマでは日本語教育を必須にはしなかった。